目障りな「嫌な現実」が何を教えてくれているのか


昨日、口の横にできたニキビを鏡で見つめながらふと思ったこと。

私は昔からニキビができやすくて、中高生くらいの頃から最近までずっと「顔にいくつもニキビがあるのがデフォルト」だったんです。場所は様々ですが、ニキビが1つもないってことは中々珍しかった。それなりに思春期を過ごしてきたので(笑)ニキビはやっぱりすごく気になるし、コンプレックスでした。デートの前日に一生懸命潰してなんとか膨らみを隠そうとしてみたり、前髪で見えないように調整したりしてましたね。なつかしい。

私の場合は大学生くらいで洗顔とスキンケアを変えたら大分よくなったんですが、それでもニキビが0にはならず。ここ最近で病気になってから食事や栄養を改善するようになったらニキビも全然出なくなって♡今では「ニキビ0のお肌がデフォルト」になりました。

ということでニキビがない状態が普通になってきたので、たまにニキビができた時はすぐ気が付きます。そして今では、ネットで拾ってきた「この部位のニキビはこれが原因」という画像をチェックする癖がつきました。

ニキビのできる場所とその原因が書かれた画像

例えば昨日なら口の周りに出ていたので、「胃腸かな?ビタミンかな?あ~ささくれも出来てるし最近絶対ビタミン足りてないな、特に果物とか減ってたから明日買ってこよ」みたいな。これが面白いくらい当たってるもので、おでこに出るときは百発百中で不眠の時だし、ほっぺに出るときは腸が不調な時が多くて、あごに出るときに食生活が乱れてることも多いのです、私の場合。

いつからこの画像でチェックする癖がついたのかは思い出せないのですが、ニキビをどうこうしようとする前に反射的にこの画像を開いている自分にふと気が付いたんですね。色んな薬を試したり潰してみたりするんじゃなくて、ニキビ本体には触れずに根本原因にアプローチしておとなしく対処している自分に気がついた。これは私が病気の治療の過程でニキビが治る体験をしたからこそ、私のニキビは内臓の不調がよく反映されていると身をもって知ったからだと思います。


なんかそれが、現実と同じ構図だなぁ~って急に思ったんです。すみませんここから変な話になるかもしれません。(笑)鏡をのぞきながら、「ニキビ=現実に起きる色んな嫌なこと」「顔=自分に見えている現実」「体内=人生?」に見えてきて。

要は、ニキビは身体の中の不調を教えてくれるサインとして、私の身体の表面に現れているって言えますよね。ニキビが出る前に気づけるのが理想的なんですけど、どうしても身体の中で静かに起こってることって気付けないことも多くて、そんな時に「ビタミン不足」とか「食事が乱れてる」とかいう表れとして、目に見える形でニキビが出来る。

これは「ビタミン不足の『結果』」という言い方もできるし、「ビタミン不足を教えてくれている『サイン』」ということも出来ます。ニキビが私に知らせるために意思を持って生まれてくる、みたいな擬人的な考え方が苦手であれば、「ビタミン不足の結果としてニキビが出来てしまった」でもおっけーです。「結果として生まれたニキビが指し示すことはビタミン不足である」ので、どちらでも同じことです。

このサイン(≒結果)として生じるニキビって、すごく目障りじゃないですか。痛かったり、見栄えが悪かったりする。だから対処したいんだけど、目の敵にして「その表面に出ているニキビを消すこと」に注力していても、ニキビができた原因(ビタミン不足とか)が解決しない限り、中高時代の私のようにニキビは消えないわけです。どれだけ沢山の薬を試したり化粧品を変えてみたり洗顔しまくったりしても。で、根本原因が解決するとびっくりするほどあっさり消えていくんですよね。

現実に起こるあらゆる目障りなこともこれと同じことなんじゃないかな~って。私たちが現実で目のあたりにする厄介事って、全部もっと隠れたところにある問題の結果として起こってるのかもしれない。言い換えれば、もっと深い所にある問題を教えてくれているサインに過ぎないのかもしれない。

体内の問題がニキビとして顔上に現れるように、人生の深い問題が嫌な出来事として現実に現れる、っていう考え方。私は「結果」より「サイン」って言ったほうが、なんか妖精さんが私のために教えに来てくれた♡みたいなニュアンスが可愛くて好きなんですが(笑)、妖精さんがサインを通して私に見てほしいのは「厄介事そのもの」じゃなくて「その奥にある原因」なんじゃないかなと思ったんです。

どうしてもニキビそのものの痛みや目立ち方って神経を逆なでしてくるから意識が向いちゃって、そのニキビ本体と徹底的に向き合おうとしてしまいがち。コンシーラー塗りたくって隠したり、ニキビそのものに薬をつけまくったり、「なんでこんな大事な日にニキビが出来るんだよ!!!」と嘆き倒してみたり。

同じように現実でも、私たちは中々「ニキビ本体」から目をそらせなくなりやすい。病気してたらその症状が苦しくて仕方ないし、うざい人がいたらどうにかしたくなるし。コンシーラーで隠すようなやり方で封印しようとすることもあれば、潰してかさぶたを剥がしてまた潰して…ってとにかく構い続けてしまうこともあるし、しまいにはニキビだらけの顔をもう鏡で見ることすら出来ないほど心に傷を負ってしまうことだってある。

でも、そういう「不快な現実」が何かのサインだと受け取るなら、そして早く不快な現実を解決させたいと思うなら、やるべきことは違ってきますよね。ましてやサインを送ってくれる妖精さんは、「こんなにニキビが出来るなんて私は醜い」なんて落ち込んでほしいわけじゃないはずなのに、現実で私たちはそれをすぐやってしまう。「病気になって、親とも友達とも恋人ともうまくいかなくて、仕事もできなくて、私の人生終わってる」とか思ってしまいやすいけど、サインそのものに執着するよりも、その根本原因ってなんだろう?ってとこに目を向けてみる方がいいのかもしれない。

ここで現実がニキビほど簡単じゃないのは、上にあげた画像みたいな「○○はこれが原因!」って決まった答えがないからなんですよね~。私も口の横に出来たニキビがビタミン不足だってこの画像を見るまでは知らなかったし、自力で気づけたかって言われると全然自信がないです。とくにそれが「初めて出来たニキビ」だったら尚更分かんないし、もしかしたらこの画像が当てはまらない人だっているかもしれないですからね。

現実においてそのサインが一体どんな問題によって起こっているのかを見極めるのって、検索して答えが出てくるようなものじゃないからこそ本当に難しい。サインそのものにエネルギーを持っていかれないようにする忍耐力と、起こっていることをただフラットに客観的に捉える観察力と、自分の人生と深く向き合うことと、あとセンスも求められる気がする。そしてその答えは人それぞれだから、どんなに周りが助けてくれても最後は自分で見つけ出さなければいけないんですよね。


よく「病気になったことを感謝する」って言葉を聞くけど、前はさっぱり意味が分からなかった。「何でも感謝って言えばいいと思って…偽善やん」としか思ってなかった。(笑)でも今の私は、栄養不足なんかを教えてくれるニキビがありがたいと思うようになったんです。もっと言えば頼もしいサポーターのように感じていて。私は今少しの栄養不足などがモロに不調を引き起こすような体調だからこそ、大事になる前に自分一人ではなかなか気付けないアンバランスを教えてくれるニキビは本当に頼もしいのです。

同じように、現実におけるニキビである「病気」や「トラブル」、上手くいかないあらゆることも、それらが教えてくれていることに気づけた瞬間に「厄介事」「不幸」から感謝の対象に変わる。私の病気は、私の無理した生き方に警鐘を鳴らしてくれていたし、人間関係の悩みは、愛し愛されることのできる人になるために、私にヒントを与えてくれていたってことを今では理解できました。病気そのもの、トラブルそのものに一生懸命向き合っていた時は出口が見えなかったのに、方向転換して人生に向き合うようにしたら出口に光が差してきた。そうなるともう、目の敵だったサインには憎しみも恨みも全く湧かなくなって、「教えてくれてありがとう」という気持ちしか残らないんですよね。本当にふしぎ。

ここ最近でニキビの対処法を学びながら、ニキビみたいな目障りな物事が「サイン」だと気付ける技術が身に付いたのかな~、なんてふと思ったので、書いてみました。毎度のこと長文になってしまいましたが、読んでくれてありがとうございます☺


おまけ
ニキビや嫌な現実が表しているものを、「問題の結果」と「問題を教えてくれるサイン」と二通りの書き方をしましたが、前者のような言い方をすれば科学的(いわゆる因果関係)で、後者のような言い方をすればスピリチュアル的だ、と言われるんじゃないかと思います。捉え方の違いだけであって、実際に起きていることに差はない。科学やスピリチュアルどちらか一方に激しい嫌悪を示す人や、両者が食い違ってしまう場面をたまに見かけるんだけど、同じ円柱を別方向から見て「丸だ!」「四角だ!」って言ってるようなことなんじゃないかな。