ダウンした時の話(前編)


私がどういう経緯で自律神経失調症の諸々を発症してしまったかを、ここにまとめておこうと思います。当時のLINEなんかを振り返りながら書いたので、めちゃ長いですよ。(笑)

発症は去年の夏、大学4年生の時。それまでの大学生活、私はアクティブな部類の大学生でした。毎日サークルにバイトに遊びに旅行に卒論に大忙しで、丸一日予定のない日なんて全然なかった。いわゆるリア充に分類されるほうだったと思います。スケジュールをぎりぎりまで詰めるのが好きで、日夜出かけては誰かと会っているような生活でしたね。

運動が苦手なので体力はないけれど、大きな病気をすることもなく健康でした。唯一今思えば前兆だったな~と思うのが、発症の半年前の冬にインフルエンザにかかったことくらい。インフルなんてずっと縁がなかったので「あれ?珍しいな…」と思ってた(しかも結構長引いて、人生初の救急車にも乗った)。でも治ってからはいつもの調子で、すぐにまた予定を詰めては旅行に出かけてました。そのアクティブさ、今の私には思い出せない…(笑)


で、夏。勉強したい学問があって、日本じゃまだ研究が進んでなかったので、「学生最後だし行っちゃえ~~!」と勢いで1人イギリスに飛び、1カ月のプログラムに参加することにしていました。自分で行きたくて調べて申し込んで、完全に自分の意志で決めたことだったし、海外に1人で行くことは慣れてたのに、出発が近づくにつれブルーになっていたことが珍しくてよく覚えてます。当時イギリスではテロがよくニュースになってたりして、そのせいかな~なんて軽く流してたけど。今思えば、あのもやもやした感情はなにかを私に知らせてくれていたなぁ。

出発の朝、向かっている途中にスマホを落として電車に乗り遅れたり、通貨の両替を忘れて出発前にてんやわんやしたのも、今考えたら珍しすぎた(昔の私はうっかりミスから縁遠い人間でした)。

そして飛行機に乗って、楽しくフライトを過ごしていたんだけど、着陸直前くらいから急に具合が悪くなりました。緊張してるのかな~と思って平静を装って飛行機を降り立ったけど、どうにも立っていられなくて心を落ち着けようと必死でした(周りはもう日本人いないし、ひたすら水を飲み休むことしかできなかった)。なんとか入国し、タクシーを捕まえ、目的地の大学まで1時間位のドライブに耐え、到着。寮の一人部屋に案内され、その日は歓迎イベントに行かず部屋で休養しました。

一晩休んだら大分回復して、次の日からは元気に参加。世界中から100人位の大学生が集まっている中で、日本人は私以外誰もいないことが発覚。さすがに1人はいるだろうと思っていたので、勉強にはいい環境だと思いつつ、弱っていたので「日本人いてほしかった~」と心から思いました…


授業が始まると、あまりの難易度の高さに衝撃を受けてしまいました。英語は不得意ではなかったはずなのに、専門用語が飛び交うネイティブばかりの授業における私の戦闘力は0。もう、何にもわかんない。(笑)放課後みんなが観光に繰り出す中、私は早起きして朝ごはん食べながら予習、放課後も夜ご飯食べながら復習、睡眠時間は3時間ほどに削ってハードな生活を送りました。授業中は発言する場面も多く、そのたびにTHE日本人な私のメンタルはすり減っていき、周りには優秀な人ばかりで、プライドも傷ついていきました。

自律神経失調症で倒れる直前の、留学先での勉強の様子。
自習の様子。何の学問か分かった方はお友達になってください。(笑)

そうして最初の1週間が終了。授業は大変だけど友達も出来て、土日はみんなと観光に出かけて、楽しかったです。うん、あの時は楽しかったとちゃんと感じていたと思う。


しかし、ここからですよ。私の入った寮は一人部屋だけど、トイレとシャワーが共用の施設で。平日は毎日清掃が入ってたんだけど、土日は寮に清掃が入らなかったんですね。で、日曜にシャワーがあまりにも汚くてですね、本当にキツかったんです。(笑)特別潔癖ではないと思うけど、多分一般的な日本人には耐性のない感じだったので、結構ショックを受けました。

そしてそれが直接関係していたかは分からないけど、その夜にまた具合が悪くなりました。「あ、ここで体調崩したらやばい、異国の地で倒れるわけにはいかない」と焦り、もしこの寮の不衛生さが私のストレスになっているなら、なるべくストレス要因を取り除いたほうがいいと判断して、次の日に個人用のバス・トイレがある部屋に移してもらいました。


2週目がスタートし、部屋も移ったのに、私の体調はあまり回復しませんでした。ヒステリー球や呑気症の症状だったと思いますが、常に呼吸が浅くて、のどに異物感を感じて、空気を飲み込みすぎて気持ち悪くて…なんとか授業には出ていたけど、段々食欲も減ってサラダしか食べないような生活になりました。それでも友達と楽しく過ごしている時は比較的マシだったので、「根詰めすぎたかな。リフレッシュしよう」と1週目よりも遊びに出かけていました。

2週目の土曜、日帰りでちょっと遠出をしました。その日は天気が悪くて寒くて、友達といつもより長く一緒にいたので嫌な面が見えてイラついたりもして、少し疲れて帰宅。夜ご飯を食べに出かけたら、食欲がゼロ。お腹は空いてるのに身体が全く受け付けてくれません。「疲れたからかな~」と思い、適当にフルーツを持ち帰って部屋で休んでいたら、みるみる熱が上がっていく感覚に襲われました。「やばい!」と思ったけどもう手遅れで、熱で苦しくて動けなくなってしまいました。

解熱剤を買ってきてほしいと友達に連絡しましたが、もう深夜で既読は付かず。バッグを漁ってなぜか出てきた1錠のカロナールを飲んでみたけど、何の効果もなく。とにかく寝るしかないと思ったけど、あまりの暑さと苦しさで全く眠れず。体中に濡れタオルを置いて冷やし、ホッカホカになったタオルをたまにまた濡らしに行く往復を繰り返しながら、じっと朝が来るのを待つことしかできませんでした。本当に心細かった。時差があるおかげで、日本の友達とやり取りできたことがせめてもの救いでしたが。

朝が来て、友達が解熱剤を持って来てくれたけど、まぁ全く効かない。そもそもパッケージの英文を読んで何錠飲めばいいか確認するのもフラフラの頭では一苦労で、熱は上がる一方に感じられました。一人でいるのがあまりにつらくて本当は看病を頼みたくて仕方なかったけど、その日は先生も友達もみんな遠出する日だったので、申し訳なくて誰にも頼めなかった。

大学の医務室的なところは夏季休業。近くの病院は日曜日で休み。『寮長の部屋』と表札が掲げられた部屋をノックしたけど、夏休みだから誰も居なかった。辛抱して頑張ったんですが、夕方頃にもう意識が朦朧としてきてしまって、ここら辺からはよく覚えていません。遠出から帰ってきた友達が私に何度も連絡してくれたけど、私の返事がなかったので心配して警備員を呼んでくれて(セキュリティーがしっかりしすぎてて本人以外出入りできない孤独な寮でした笑)、警備員が意識がない私を見つけて救急車を呼んでくれて、搬送されました。救急隊員がめちゃめちゃ陽気な人で、救急車の中でずっと雑談を振られていた記憶がかすかにあります。(笑)あと、私はお金が心配でずっとうわごとのように「ハウマッチ・・・・・・・・」とつぶやいていたらしい。そりゃ心配だわ。


ふう。長くなるので、続きは後編へ。